< おべんとうの歌 > 谷川俊太郎『うつむく青年』より


魔法瓶のお茶が
ちっともさめていないことに
何度でも感激するのだ
白いごはんの中から
梅干が顔を出す瞬間に
いつもスリルを覚えるのだ
ゆで卵のからが
きれいにくるりとむけると
手柄でもたてた気になるのだ
(大切な薬みたいに
包んである塩)
キャラメルなどというものを
口に含むのを許されるのは
いい年をした大人にとって
こんな時だけ
奇蹟の時
おべんとうの時
空が青いということに
突然馬鹿か天才のように
夢中になってしまうのだ
小鳥の声が聞えるといって
オペラの幕が開くみたいに
しーんとするのだ
そしてびっくりする
自分がどんな小さいなものに
幸せを感じているかを知って
そして少し腹を立てる
あんまり簡単に
幸せになった自分に
――あそこでは
そうあの廃坑になった町では
おべんとうのある子は
おべんとうを食べていた
そして
おべんとうのない子は
風の強い校庭で
黙ってぶらんこにのっていた
その短い記事と写真を
何故こんなにはっきり
記憶しているのだろう
どうすることもできぬ
くやしさが
泉のように沸きあがる
どうやってわかちあうのか
幸せを
どうやってわかちあうのか
不幸を


手の中の一個のおむすびは
地球のように
重い