ずーっと見ててもちっとも動いてない様に見える雲の日と、何秒かぼんやりしてただけですっかり形の変わってる雲の日がある。今日は後者。鳶がゆったりと飛びながらヒョロロロロと鳴いていて、平穏そのもの。


子どもの頃の色々な感覚って独特で、例えば時間の流れ方、密度のひとつ取っても今とは何かが違う気がします。言葉で上手く表せへんけど。


その頃の感覚が今は「隔てられたわけやないけど手が届かへん」所にあり、
寂しい様なもどかしい様な。でも今日みたいに秋の柔日に鳶の鳴き声が聞こえ
たり、肌寒くなった秋の夕方にどこからか石油の匂いがしてきたりする、
何でもない瞬間に小さかった頃の感覚が戻ってくることがあります。
昔の自分と今の自分は確かにつながってるんやなとぼんやり思う時でもあります。





田舎の家に越してきた少年の前に、いがぐり頭の男の子が現れる『ぼっこ』という
お話があります。その男の子はぼっこという家神様で、田舎に不慣れな少年を
あちこちつれ回しながら、その土地や人に少年を慣れさせていきます。
少年しかぼっこを見ることは出来ませんが、田舎に慣れるにつれて少年もぼっこが
見えることは少なくなっていき-------



この本を読むとなぜだかいつも泣きそうになります。
少年の従兄弟やおじいちゃんも子どもの頃はぼっこを見ることが出来ていたのだけど、大きくなるにつれて見えなくなっていくのです。
ぼっこが皆の幼少時代の象徴みたいで。でもおじいちゃんも、年をとってからは
またぼっこが見えるようになっていたそうで。
年を重ねるほどに子どもから離れていくと思いがちやけど、ほんとは年を重ねる
ほどに又子どもに近づいていくものなのかも。
「人は年をとるほどに自由になる」という好きな言葉がありまして、そういう風に
生きてきたいと思うわけです、今日みたいな日は特に。