イヴ


今日夕方のNHKで、サイモン&ガーファンクルの明日に架ける橋について放送
していました。この歌が作られた頃のアメリカの状況とか、南アフリカに浸透して
いった流れとか。
この歌は南アフリカの女性歌手がカバーして以来、アパルトヘイト政策が敷かれ
ていた頃の黒人の人達にとって心の支えになっていたそうです。
今では教会の賛美歌になっている位、ずっと歌い続けられています。
「この歌を歌うと愛する人達のことが思い浮かぶ」とか、「貧しさや苦しみを
忘れられる」とか、沢山の人の言葉。



人が人を差別するって。
肌の色や人種でどうして本気で蔑視出来るんやろう・・・
何か色々考えて、上手く言葉にならへん。
「自分達と違う」人は場合によっては最初やっぱり怖いこともあるけど、
それで相手を貶めるって、その人自身を貶めてる。
貶められても耐えて強く生き続ける人と、貶めることで心の平安を得ている人と、
人間的にどちらが立派か。明らかなのに。「違い」は無くなるものやないけど、それがきっかけの差別は無くなって欲しいとほんとに思う。自分も省みなくては。



普遍的な音楽って、作曲者・作詞者の手を離れるなあと思った。
その歌を聴いた人、歌う人それぞれの思いがある。
音楽って素晴らしいと又思いました。
9.11のテロの後、明日に架ける橋も放送自粛になったそう。
歌詞の一部が飛行機を連想させるからと。
それだけ過敏になってしまう程衝撃的なことやったんやと思う。
でも、良い曲は良い曲やと思う。長い間色んな人に愛されてきた曲を自粛とか、
そんなことがもう無い様にと思う。




「地球上をあっちに行ったりこっちに行ったりしてみれば、違う国はやはり違う
ものだという印象を持つだろう。
風土が違うし、住んでいる人も違う。人種も違う。民族も違う。文化も違う。
どこに行っても何もかも違う。生活様式から食べ物、食べ方まで違う。
どこに行っても違いばかり目につく。
しかし、その違いと見える全てのものが、宇宙から見ると全く目に入らない。
マイナーな違いなんだよ。宇宙からは、マイナーなものは見えず本質が見える。


―――(中略)―――


地表で違うところを見れば、なるほど違うところは違うと思うのに対して、
宇宙から違うところを見ると、なるほど違うところも同じだと思う。
人間も、地球上に住んでいる人間は、種族・民族は違うかもしれないが、同じ
ホモ・サピエンスという種に属するものではないかと感じる。
対立・抗争というのは、全て何らかの違いを前提としたもので、同じものの間
には争いがないはずだ。同じだという認識が足りないから争いが起こる」



『宇宙からの帰還』よりドン・アイズリ
63年に空軍から宇宙飛行士に採用される